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リニューアルオープン!


by jownyanko

新学期も始まり

今日は娘の進級式でした。

自分の気持ちとは裏腹に、だいぶ周囲と同じように、笑い、話し、
時間を過ごせるようになったなぁと思います。


ちょっと前までは、それがすごく違和感があって、居心地の悪いものだったりしたのだけど、
今はそんなに居心地も悪くない。

笑うことが、自分の元気にもつながるのだと思うようになりました。

そして、そういう元気なあたしが、家族も変えるのだと思いました。



何より、タンタンの言動が、、、、、一時期に比べ、落ち着いたのです。

丁寧にタンタンが考えていることがどんな事なのか、考えるようになりました。
それが、少しずつ実を結んだのではないのかと。


子供たちは、よく、ママ大好き と言ってくれます。
それはそれは、本当にいい顔をして言ってくれます。

そんなあの子たちを、気分しだいで怒ったりしていたあたしは、
むごい事をしていたのだと思います。

涙目でいつも暗い顔をしていたら、
子供は自分を見ていない母親に振り向いてもらいたくて、いろんな事をしでかすのでしょう。




母は明日、転院します。
急性期病院を出る状態となったわけです。



そろそろ、転院を考えてくださいとは言われていたのですが、
父としてはまだ回復の見込みを信じ、しばらくは見てくれるだろうと期待していたようです。

それが、4月になり新しい主治医がきて、父に○○病院への紹介状、書いておくので、、、と言い、
その日、父は家に帰っても元気をなくし、ビールも飲まず、病院であったことを話すのに
看護婦さんたちまでもが、早く出て行けと思っているようだ、、、と、、、
危うく涙目になるような状態で、、、


あたしにしてみれば、転院は言われることは分かっていたし、
ここにいてもこれ以上何も積極的な治療が施されるわけではないのだから、
居場所を確保できるように、早めに探し始めた方がたらいまわしにされずに済むと思ったのですが。


あたし以上に回復を信じている父にとって、
「転院」は もう治りませんよ と宣告されたのと同じだったようです。



母が今日こんな風に動いたとか小さなことをうれしそうに話す父。

あたしと父の気持ちの中には 違いがあって、
それでもそれを 否定することが あたしにはできなくて。

気道切開を父が決めた時、あたしの本心は反対でした。
だけど、どんな姿であっても生きていてほしいと願う、
母という存在に すがっている 父を押しのけてまで、反対はできませんでした。



友人のお母さんが先日、亡くなったのですが、
やはりお父さんの姿というのは、見るに堪えがたいものがあるという話をしていました。


男の人というのは、一人になってしまうと、つぶれてしまうものなんですね。




振り返ってみると、3月は、またたく間に過ぎたのですが、
あたしにとっては 辛い 一ヶ月でした。

職場での事、夫婦関係、父とあたし、父と旦那、姑さん、すべて人間関係において、苦しめられました。


家に帰るのも嫌だと思った日もありました。
仕事にでる週初め、胃が重苦しくなることもありました。

何もない世界で ボーっとしたい、そんな風に思ったことも。

きっと うつ病はこうして始まるのだろうなと・・・そんな風に思っていました。

そんなあたしはすでに うつ病だったのかもしれません。



今、すべての関係が 正常化されたわけではなく、もがきながら生きていくのでしょうが、


何か ふっ切れた

そんな気がします。
# by jownyanko | 2011-04-11 22:49 | わかんない

夜の電話

さっき、電話回線の音がして 一瞬、凍りつきましたが、電話は鳴りませんでした。
変な時間にかかる電話の意味は あまり いいものではないのだろうと思います。




三月も半ばを超え、母の入院生活も一ヶ月半を迎えました。

歪みをいろいろな所に抱えたまま、時が過ぎています。



タンタンは、今、もっとも問題を抱えている状態です。

原因はあたしが作ってしまったことに間違いはありません。



彼の心の中に 寂しさ、孤独感、そういった種を植え付けてしまったんだと思います。

約一カ月、泊まり込み続けた結果、夜間ママが横に寝ていないという印象を深く刻み込んだ
のが、主な原因です。



それを取っ払うのは、もっともっともっともっと、ただ愛し続けてあげることなのだと思います。


ちゃんと、今表面化している彼の心の叫びを、あたしや周りの大人たちが理解してあげることが大切なんだと思います。




そして、母の容体ですが、変化はなく。
ただ、ソーシャルワーカーの方と話をすることがあり、そろそろ転院先を探す時期になりました。

今は急性期対応病院であるため、慢性状態を見てもらえる病院に移ることになるのです。


母は気管切開をしているので、医療設備や医師看護師対応のとれる所じゃないと引き受けてもらえません。

医療で入る病院と 介護で入る病院と、、、
母はどちらにも入ることができます。


そして今週初め、3つの病院を見に行ってきました。
一つ目は個人医院ですが入院設備のある 介護型の病院。
こじんまりとしているし、病床数が少ないので看護師さんの目が届きやすいという点はありますが、
今いる病院からこちらへ移るのには、医療設備のレベルがあまりにも大きくて、少し心もとない感じがありました。
家から歩いていけるのですが。

二つ目は少し大きめの病院、外観も病棟内も一つ目よりも圧倒的に勝っていました。
医療レベルに関しても落ちるものの、リハビリもあり、こちらが望むものは備えているようです。

三つ目は大きな病院ではありますが、外観も暗い感じ、あまりいいうわさを聞いたことがない、
そんな病院でした。
入院されている方々をみて、おそらく母と状態としては大差はないのだろうと思うのですが、それでもショックを受けました。
見舞いに来られている家族の姿もなく、ただ残りの命をベットの上で果たしている、
そんなお年寄りの方々を見てしまったような気がしたのです。
ここへは入れたくない、そう感じたのでした。


自宅から近くで探しているので、3つの候補のうち、どう考えても二つ目の病院が残りました。
近いうちにまたソーシャルワーカーの方と話をすることになるのでしょうから、
二つ目のところで、、とお願いしてみるつもりです。


自宅で見ることももちろん、可能な選択なのですが、父が24時間痰の吸引の世話をするなど、無理だろうし、辱そうの心配も、あります。


元気をなくし、くたびれている父をみると とても辛くなります。



泊まりをやめて以来、母のそばにいる時間はほんの30分が限界となりました。
目を覚まさない母が大事な気持ちは変わっていません。
でも、迷走する子供たちを今ほっておくわけにはいかないのです。



母が入院し、目を覚まさなくなってしまった時、あたしは母のそばにいて、自分が子供のような気持ちになっているのに驚きました。

母の手をとり、母に起きて、起きて、と話しかけ、
「昔みたいに名前を呼んで、頭をなでて」
そう言いました。




あす、ゆっくりと 母に会いに行きます。
# by jownyanko | 2011-03-19 02:11 | わかんない
東日本で甚大な被害を起こしている 大震災の 犠牲者の方々、そして避難生活を送っているみなさん、原子力発電所の事故に不安を抱えておられるみなさん、心からお見舞い申し上げます。


ニュースを見るたびに、募金しかできない自分が辛くなります。
もどかしい気持ちになります。
薬剤師として、ボランティア活動をしに行きたいという気持ちも、今の現状ではままなりません。

そして、普通の生活を今も送っている自分たちが 普通にご飯を食べている、
それが不思議に思えてきます。


どうかどうか、一人でも多くの皆さんが 助かってほしい、そして一刻も早く、安心できる生活を送れるようになってほしい、
本当に心からそう願っています。

阪神大震災の後、あたしは阪神高速道路がなぎ倒されている横を通ったことがありました。
家々がつぶれ、この中にいた人たちはどうなったのだろうと、、、
体が震えてくるのがわかりました。

しかし、今回の震災はその阪神大震災をはるかに超えるものです。
あの時、あの惨状は日本全国へは伝わらなかったように思います。
関西地区の人でなければ、実感することができなかったと。

この東日本の大震災は、日本の全国の人たちの心に響いているように感じます。

もう充分に頑張っているはずの被災者の方たち、だけど、どうにか乗り越えてほしい、できる限り応援しています。

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# by jownyanko | 2011-03-19 01:40 | 日々思う事

母との時間

昨日から 病院での寝泊りをおやめました。
父が そうするように、という私にいったのです。

最近では慣れて来たので、夜間に看護師さんが来ても寝たままの事がありました。

つまり、横で寝ていてもあまり母の役にはたっていなかったのですが。
看護師長からも、家族が体を壊すといけないから、母も安定している事だしこの辺で泊りをやめたらどうかと言われたそうです。


母の役に立てなくても、あたしは夜、母の横で取り留めのない話をしてから、寝ていました。

そうする事が母の回復に役立つとおもっているからです。


おととい。
またダーリンと喧嘩をしました。
直前にタンタンがひどい駄々をこねて 大変で、
あたしはタンタンの話を聞き、さとし、甘えさせて、
どうにか納めたのですが。

ダーリンはだんだんひどくなるタンタンを見ていて、
あたしが甘いからだと言いました。
でも、原因はわかっている事です,私がいないからなんです。


その喧嘩のあと、あたしは病院へ父を迎えに行ったのですが
初めて、父に、

タンタンのわがままはあたしが悪いのだ、
怒らなくてはいけないところはけじめをるけろと
ダーリンがあたしにいった事、でもあたしは反対である事、
どうしたらいいのかわからないと 話しました。

今まで 子育てや夫婦間の悩みなど一切父どころか母にも
話した事はありませんでした。

父は 黙って 何も言ってくれませんでした。

そんな事があって、昨日。
父は もう泊らなくてもいい と言ったのです。

たぶん 父も あたしたちが喧嘩したり子供の様子がおかしいと聞いて
辛いのだと思います。


夕飯は母の他の全員と今は全面的にお世話になっている
義母さんが一緒に夕飯を食べています。

その際父は ビールをたくさんのみ さらに 焼酎やウィスキーを飲んだりしていて
体を壊そうとしているようで、見ていて怖いんです。

そして、母がいない寂しさを紛らわそうとしているのが
辛いのです。

だから、あたしは辛かったとは言え父に漏らしてしまった事を
後悔しています。

その後、ダーリンとは和解しています。


母が病室で一人でいる事をかんがえると
やはり、ツライです。


それでも 皆のために笑っていなきゃダメなんだろうなと、
思います。
# by jownyanko | 2011-03-03 23:35 | わかんない

独りよがり

毎晩、こうして病院に寝泊りしていると、それが非日常な事ではないような気がしてきます。

今日も一日が過ぎて、母は一ヶ月、入院していたわけです。

夜、あたしがいない生活が続き、あちこちに歪みが出始めてきました。

もちろん、母が意識を失うなんて今までになかった事なので、あたしはなりふり構わずただ全ての気持ちを母へと集中させて来ました。

それを邪魔されそうになると、当然のように、今は他の事は考えられないっと突っぱねていました。

だけど、ダーリンとの気持ちのすれ違いや、子供達の寂しさは、確実に鬱積していき、ダーリンとは何度か喧嘩になりました。
そして、子供達は、、、歪んだ形で表面に出すようになったのです。

特にタンタン、、、親としての資質を試されるような、、、そんな状態にまで、あたしはあの子を追い込んでしまっていたんです。


ばぁばが入院してから、お母さんがあんまりいなくて寂しい


タンタンはそう言いました。
だけど、あたしはタンタンが寝てから病院へ行き、朝は起きる前に帰宅します。

つまり、あたしがいる時間は変わりないのに、あたしから感じ取るものが違うために、不安定になっているわけです。


後悔のないように、できるだけ母に何かしてあげたい、その一心でいること、それはみんなに認めてもらえて、みんなに我慢してもらえて、それがあたり前であると思い込んでいました。

もちろん、母を放ったらかしにする気はないですが、周囲も見渡さなくてはいけないと気が付きました。



とりあえず今日は寝ます。
# by jownyanko | 2011-03-01 00:13 | わかんない